山姥と日月四季山水屏風
第12回洩花之能で「山姥」を勤めるにあたって、過日、大阪市立美術館での「日本国宝展」に出展されていた『日月四季山水屏風』を見に行ってきました。山水屏風とは京都国立博物館によると
「山水屏風は真言密教で伝法灌頂(でんぽうかんじょう)(密教の師になるときの儀式)を行うとき、その道場で用いられたものだが、本来は平安貴族の邸宅で使われたものらしい。」
とのこと。おそらくは平安貴族の室礼の最上級のものを仏教の儀式に転用したものと考えられます。
現在でも山水屏風で検索すると平安時代の国宝級の名品がいくつかヒットすると思いますが、今回の大阪で展示されていたものは室町時代から桃山時代にかけての作品とされています。
ちなみに山水屏風で最も古いものは京都の神護寺に伝わるものです。神護寺伝来のものをはじめ、平安時代の山水屏風はいわゆる「やまと絵」の原点的なものとして位置づけられ、源氏物語絵巻や平家納経などの豪華絢爛な作品へと系譜が続くのがよくわかります。京都の東寺伝来の山水屏風のリンクはこちら。
しかしこの「日月四季山水屏風(大阪府金剛寺蔵)」はそうした平安時代のものとは一線を画した印象を見る人に与えます。
白洲正子の著書『かくれ里』にも紹介されています。「日月四季山水屏風」を紹介したリンクはこちら。両者を比べるとその違いは一目瞭然です。
この記事ではこの「日月四季山水屏風」を能「山姥」の詞章と結びつけてみたいと思います。
萬箇(ばんこ)目前の境界。懸河(けんか)渺々(びょうびょう)として巌(いわお)峨々(がが)たり。山復山(やままたやま)。何れの工(たくみ)か青巌(せいがん)の形を削りなせる。水復水(みずまたみず)。誰が家にか碧潭(へきたん)の色を。染め出せる。
上記の詞章は能「山姥」のシテが山姥の本性の姿を現した後半の場面で深山幽谷の景色を言葉に荒らしたもので、漢文調の格調高い文章です。懸河とは滝のこと、渺々とは果てしなく広いさま、遠くはるかなさま、 広大無辺な様子を表す言葉です。また峨々とは山や岩などが高く険しくそびえ立つ様子を表す言葉です。また後半の山復山以下の詞章は、山また山と続いている様子はどんな工でもが青巌の形を作り出すことはできまいし、水また水と流れている様子を見ると誰もこの青々とした色に染めることは出来まい、といった意味です。
それ山といつぱ塵土(ちりひじ)より起って。天雲懸る千丈の峯。海は苔の露より滴りて。波濤を畳む。萬水たり。一洞空しき谷の声。梢に響く山びこの。無声音を聞く便りとなり。声に響かぬ谷もがなと望みしもげにかくやらん。殊に我が住む山河の景色。山高うして海近く。谷深うして水遠し。前には海水(かいすい)瀼々(じょうじょう)として月真如の光を掲げ。後には嶺松(れいしょう)巋々(ぎ義)として。風常楽の。夢を破る。
こちらは後半の「序」と「サシ」と呼ばれる部分です。こちらも漢文調で深山幽谷の景色が表現されています。
能をご覧になったことがある方はご存知と思いますが、能は能舞台という特集な舞台で上演されそこには背景も舞台セットもありません。あるとすれば作物(つくりもの)と呼ばれるごく簡素な大道具です。ですから季節・場所・時刻等をすべて言葉で表します。視覚的な情景要素がないのは一見不親切な気もしますが、こうした情景を観る人の想像力に委ねているところが能のメリットでもありデメリットでもあります。上記の青色で記した謡(能の詞章)はそれを初めて耳にした人はその情景を目に浮かべることは難しいでしょう。また古典などを学習したことがないお子様にも理解することはできないと思われます。しかしある程度の文学的素養のある人がこの文章をまず目にし、そしてこの謡を耳にするとすればどうでしょうか?その人の心の中で最も相応しい情景が広がっているはずです。またもし青色の謡が平素な口語文で語られていたとしたら観る人の想像力はかき立てられるでしょうか?こうしたことへの答えが能の魅力でもあります。
さて青色の謡をもう一度ゆっくり読んでみてください(できれば小さな声でよいので口に出して)。割とリズムの良いことに気が付かれると思います。そしてもう一度日月四季山水屏風の写真を見てみてください。最初にご覧になった時と違う印象でご覧になれるのではないでしょうか?
「山姥」の詞章は当日会場でもお配りしますが、こちらからもダウンロードできます。是非事前にお目通しください。
友枝 真也