2017年10月21日

五蘊会 秋曲二題(其の三)

祖父の優雅な足づかいの説明とは裏腹に、全く余裕の無い稽古を受けておりましたが、叔父の稽古は困難を極める中でも、実に理論的で身体の使い方に関して非常に理解しやすいものではありました。

しかしながら、理解した事が実際に動かせるという事にはつながらず、やはり回数を重ねた稽古と間をおかずに足腰を鍛えておくことが大事である事が少しずつ分かってきました。特殊のように見えていた型や、その流れも実は今まで稽古してきた普通の型と根本では変わらない事、結局今までの基礎の作り方が甘かった事、理解と絶望の両方が波の如く押し寄せてきておりました。

中腰の様な体勢と片足で立つ型の多い舞の中で、青海波を描く足づかいにも少し慣れてきた時に、ある日、祖父が熊本での古い型では乱れ足の使い方が逆だった、と言い出したのです。

青海波を足先で描く方法は、足をまっすぐ前にて出してから外へ波を描く様に動かすのですが、熊本の古い型では、逆に外から内へ描いていた、いうのです。少し稽古の先に目標が見えかかってきた自分に、逆の足づかいなどは想像の範囲を越しており、驚きというより奇異な感じしか湧いてきませんでしたが、さすがの祖父もその足づかいで舞ったことはなかったそうです。祖父の叔父である友枝敏樹が、その型で舞ったとも聞きましたが、実際はわかりません。逆もまた真なり、と言う事なのかもしれませんが、伝承芸能である能楽には時々、この様な事があることも確かです。しかし、やはり伝わる中で無理な型は段々と舞台では見られなくなり、記憶だけが残るのでしょう。映像などがなかった頃ですから、その時々の人々が見た記憶と書き残した記録で伝わってきたのだと思います。この点において、日本人と言うのは本当に真面目で几帳面な性質だと、能楽の舞台に携わっていると感じる事も多いです。

ここまで触れますと、今回の足づかいは?と思われるかもしれませんが、やはり慣れた型でしっかり稽古していきたいと思っております。

今回で六度目の猩々乱です。今回の出来もわからない中、その次の話など言語道断ですが、祖父のしてくれた乱の話が頭の片隅にある事も事実です。いずれ機会があれば挑戦、も良いのかもしれませんが、今は「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」と言う事なのだよ結局は、と乱れ足について話をしめた祖父の言葉の方が自分の舞台に対して強く響いております。

身体的に大変だということばかりお伝えしてしまいましたが、ご覧頂く皆様には一切そんな事を感じさせる事なく、秋の風情豊かに

「みたれ」る猩々にならなければ、祖父の話も無駄になってしまいます。今回は自分の舞い手としての鍛錬の目安としてではなく、季節感を伴える一曲を目指したいと思っております。

是非お運びいただく事をお待ち申し上げております。

撮影:辻井清一郎

友枝雄人