お能の質問箱

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壇 さん (東京都 女性 30代)

恐れ入ります。
能では様々な役を演じておられるとおもうのですが、鬼など浮世離れした役や、情念をたぎらせて演じなければならない役などを演じる際に精神的に大変なときなどはあるのでしょうか。
よく他の芸術でもその役がのりうつってしまい、なかなか抜けず支配されてしまったなどのエピソードを伺いますが、能でもそのようなことがあるのかお教えいただきたいです。

ご質問ありがとうございます。
犬馬は難し、魑魅は易し
この言葉は、今は武相荘という名称になっておりますが、旧白洲正子邸宅の一室に掲げられていた文字です。
白洲正子氏に、「あなた、この意味わかる?」と聞かれ答えに困っていますと、「絵の事よ」と教えてくださいました。
魑魅魍魎のような化け物のようなものを描くのは容易く、犬や馬のようにどこでもあるものを描く方がかえって難しい、という意味だそうです。
全くその通りです。難易度の問題ではありませんが、鬼の面や般若の面を使用する役は、ある程度の技術を覚えればサマになります。それは能楽が長い間に様式化されて無駄なものを取り除いた動きを極めているので、それなりの装束を纏えば成立するのです。
それに対して、羽衣の様な天人、天女の品格、美しさはただその様式をなぞって舞ったとしても見た目のみで内側からの美しさは簡単に表現できるものでは無いようです。
また、世阿弥は「離見の見」という言葉を使っております。演者は自分の事を離れた所から冷静に見ながら舞う事も必要、という事です。役の情念がの終わった後も残ってしまう演者は、自己満足のみの世界で本人は楽しくても、見せられた観客には何も伝わらない、むしろ耐えられないでしょう。

能を舞うという事は、演じるという事と、少し異なるのかも知れません。

友枝雄人

2021年1月28日更新