2017年6月21日

邯鄲の見どころ

第2回洩花之能の開催まで一ヶ月を切りました。邯鄲はいわゆる名作として何度も、そして数々の名舞台がある作品ですが、あらためてそこを見返したいと思います。

邯鄲の舞台進行は

1 廬生が邯鄲の里に着き、宿を借りる。
2 宿の女主人に邯鄲の枕という不思議な枕があり、これで眠ると将来のことがわかると進められて眠りにつく。
3 程なく廬生を楚国の帝に迎え入れると使いがやって来る。
4 帝となった廬生のもと楚国は繁栄を極める。
5 在位五十年の祝賀の宴が始まり、楽人が舞う中、廬生も自ら「楽」という舞を舞う。
6 50年の栄華と見たのは夢で、邯鄲の枕の上で廬生は目覚め、まどろんでいたのは粟飯が炊けるまでもないほんの僅かな間でしかなかった。

というものです。その見どころを今回、冒頭に解説をしていただく歌人の梅内美華子さんに伺ってみました。

友枝  僕達能楽師としては邯鄲というお能をもちろん何度も観ているわけで、見どころやクライマックスはもちろん言葉も知っているんですが、梅内は邯鄲を見るときにはどこを楽しみにしていますか?
梅内  やっぱり「楽」ですね。どうしてあんなに狭いところで舞っているんだろうというね、台を降りると普通なんですけれど。
友枝  僕自身もどうしてああいった演出になったのか、不思議ではあるんです。
梅内  でも、観る側が試されてますよね、ここを宮殿だと思って下さいって。
友枝  あ、なるほど。
梅内   一畳台に屋根をつけて、大屋台っていうんですか、がついただけで宮殿になってしまう、そう想像して下さい、イメージを広げて下さいっていうことなんでしょうけど、実際には狭いところで頑張ってらっしゃるなっていう現実もあって、でもそういうものだって自分に言い聞かせながら観てますね。そう思って観ないとあの演出は成り立たない訳です。

大屋台付の一畳台の上で「楽」を舞う。


友枝  そうですね。こちらとしては唐団扇という扇よりも長いものを持って、半切法被という大仰な装束を着て、なおかつ狭苦しそうでなくむしろのびのびと待っているように見せるのはやはり一番の課題です。ちょっとでもぶつかるとご覧になってる方もそちらの方が気になってしまうでしょうし。
梅内  大屋台の意味も変わりますよね。舞台の初めは邯鄲の枕という寝台が次にシテがそこに上がる時には宮殿になる。
友枝  そう。二度目に上がる時には真ノ来序という囃子が帝が宮殿に上る様子を表現していますが、そういう説明が観ている人に全くないというのはある意味、酷な演出といえますね。
梅内  私も初めて邯鄲を見た頃は、現実と夢、寝台と宮殿という境界がわからなかったです。ただ勅使であるワキが出て着て違う物語が始まったんだとは思うんですけれど。そもそもお能は見る方に了解されたお話、よく知られた話なので、そう思って見て下さいというのが前提としてあるんですよね。
友枝  それはそうですね。あと、楽に至るまではシテはほぼ動きがない状態が続くのですけれど、その間は?
梅内  舞台上の演者の人達を見てますね。でも最初の頃は言葉が拾えなかったので、手元にある詞章を見ていました。それにその部分は漢語が多く難しいので、その時は理解する橋渡しが欲しいと思ったこともありました。でも見慣れてくると煌びやかで栄華を極めるイメージで彩られいく、言葉も「金銀」「黄金」「白金」とか出てきてね。
友枝  そのシテがじっとしている間も二つに分かれていて前半は50年間の繁栄を、ワキツレとの問答の後、子方が舞い始めると50年経った後の祝賀の宴、いわば栄華の絶頂を迎えます。

栄華の絶頂をみずから寿ぐ。


梅内  そのワキツレとの問答のシテの「そも何事ぞ」という謡は、喜多流の謡本には「夢の間天子の威容を持ち荘重に」って書いてありますね。
友枝 その前、夢が始まった最初に勅使であるワキに対して答える「そも如何なる者ぞ」とやっぱり心地が変わってないといけない。
梅内  そうですね、帝になる前と帝になって50年の時が経ってわけですから。
友枝  ワキはシテに「いかに盧生に申すべき事の候」と言葉をかけますが、ワキツレは「いかに奏聞申すべき事の候」とことばをかけます。

楚国の使いが参上して、廬生に帝位を譲る旨を伝える。


梅内  その辺りにも50年の時間の隔たりというか、夢が深まっているということの表れですよね。方や名前を呼びますが、方や奏聞申すという最上級の敬語に変化しています。
友枝  場面としては視覚的には台の上にいるシテと下にいる勅使、又は臣下の問答だからそれほどは変わらないけれど、その言葉の違いが際立ってこないといけない。
梅内  そうして夢の最も深い中で楽がはじまります。
友枝  台の上の狭いところで舞っているんですが、舞っている内容は普段広いところで舞っているのと同じなんです。ただ足数を減らしたり、手が柱に当たらないように工夫はしていますが。
梅内  観ている方はそうは感じないですね。能舞台の中の大屋台という二重のフレームがあるせいですかね。
友枝  こちらとしてはそういうフレームに収まってる感のない楽をのびのびと舞いたいのですが。
梅内  楽の中で「空下りという特殊の型があって、暫く休息、台後方から舞台へ出て楽を続ける」とこれも謡本にあります。
友枝  そうです。これは観たことがない人には説明しずらいし、観てのお楽しみでもあるのですが、そもそもこの「空下り」も「休息」もどんな意味があるのか明確な教えがあるわけではないんです。ただ、高いところから落ちる夢だったり、夢の中でも我に返ったり、夢を見たことがある人なら誰しもこういう感覚を共感できるのでは思います。逆に我々は共感してもらえるように動きにしないといけない。邯鄲には他に割と細かいところにも「夢あるある」がありますね。
梅内  そうしたところに観ている方も引き込まれていきます。「休息」は台の裏側に見所に背を向けて腰掛けるんですよね?
友枝  そうなんです。何故後ろ向きなのか、どうして裏側から表に出てくるのか、これも明確な答えを知らないのですけれど、自分なりの理屈をつけて、ここからは一気にクライマックスに突入する感覚でいます。
梅内  楽が終って仕舞どころになって謡もどんどん盛り上がっていきますよね。
友枝  僕の中では走馬灯のようにって言葉があるけれど、その回るスピードがどんどん上がっていって…。
梅内  回りが早くなるとぼんやりしていく。
友枝 いろいろのイメージが一気に融け合っていくような、夢が覚める前の謡にもお囃子にもそんな勢いがあります。目覚めてからは、それぞれの解釈は色々あるのでしょうけど、一曲の最後の言葉は「望み叶えて帰りけり」なんですよね。
梅内 その望みという言葉がちょっと引っ掛かるんですよね。本当は人生の一大事を見極めるために覚悟を持って羊飛山に行くはずだったのに、邯鄲の里から故郷に帰ってしまう。
友枝  でもシテは邯鄲の枕で眠る時に「げにげにこれは聞き及びし邯鄲の枕なるべし」って言っています。さらに宿を借りるときも本当は先を急ぐはずなのに「未だ日は高く候へども」って邯鄲の里に泊まります。だから盧生が邯鄲の枕で眠ったのは偶然ではないんです。
梅内  一方で一大覚悟で羊飛山を目指しているはずなのに、うかうかと宿の女主人の言葉にのってしまう、本来とは違う横道にそれてしまっている危うさも感じます。
友枝 望み叶えて帰る盧生はほんの少し前は迷える青年だったわけですから、観客は見終わったときにもう一度迷える廬生を思い出しますよね。だからこそ、シテが登場した時の謡は大事なんだと思います。
梅内  観客にも我に返らせる本当に良くできてるお能だと思います。
(写真はいずれもシテ・友枝雄人 撮影・石田裕)

友枝 真也