井筒を巡って1
井筒という曲は世阿弥に作られたもので、しかも晩年の作であろうというのが現在の定説です。作者自身が自信作と自賛しているのですが、観能経験の少ない人にはややハードルが高いお能であることも事実です。それは題材としている伊勢物語が当時ほどの馴染みが現在はないこともありますが、何よりも現在の舞台芸術ではあまり経験できない要素を能が持っているからに他なりません。
先日、目黒の喜多能楽堂にてこの度第一回「洩花之能」の井筒にて小鼓をお願いした成田達志師と東京文化財研究所特任研究員高桑いづみ氏と私の3人で井筒をテーマに鼎談を行いました。詳しい内容は当日配布予定のパンフレットに掲載予定です。井筒という曲を理解する上でも大変興味深い内容のお話が伺えたのですが、やや話がマニアックになりすぎてしまったところもあるので、こちらのブログにて折々補っていきたいと思っております。
さて、井筒は能では三番目物(あるいは葛物)というジャンルに属し、中でも井筒、半蔀、東北、江口などは特に本三番目物といわれています。
本三番目物とは例外もありますが、その条件として
- 前後二段の夢幻複式能である。
- シテが人間の女性(の霊)である。
- 大小物(太鼓が入らない)で序ノ舞を舞う。
といったことが挙げられるでしょうか。
したがって杜若、羽衣、六浦などはシテが人ではないので、小塩、雲林院のシテは男体なので、また班女、千寿は序ノ舞を舞いますが、現在物なので本三番目にはなりません。逆に楊貴妃は複式能ではないのですが、本三番目の扱いです。本三番目物のほとんどが、前シテは小面に唐織着流し、後シテは同じく小面に緋大口に長絹という出で立ちです。喜多流では前シテは紅白段模様の唐織、後の長絹には紫を使うのがいわばスタンダードなスタイルです。
ちなみに本三番目ものには官女扇といわれる中啓(先の開いた扇)を使うのも決まり事です。
装束については画像のような色合いが決まりというわけではないですし、演じるシテにどのくらいの選択肢があるかという現実的な問題もありますから、色々な組み合わせが考えられますが、ある意味その色合いを選んだシテの思いを伺えるかもしれません。
装束にしても面にしても一つ一つの差は大したことはないかもしれないけれど、全体像となってみるとどこがどうとはいえないけれどかなり違った趣になることもしばしばです。
次回は井筒の詞章に触れながら実際の舞台の進行を見ていきたいと思います。
友枝 真也