2019年4月14日

野守考

今度4月の喜多流職分会自主公演で勤める野守という曲は割と人気曲の方に入るとは思うけれど、よく言えばお能らしい、悪く言えば捉えどころの難しい曲だ。後半は動きがあって見どころは多いけれども、なぜ「野守の鏡」なのか、どうして鬼神が鏡を持っているかについてはイマイチ決定打に欠ける感がある。野守のシテは3度めなのだが、能「野守」について考えたことをちょっとまとめてみた。
野守の舞台は春の春日野である。ちなみにこの春日(かすが)という地名はカスガという地名に枕詞である「春日(はるひ)の」がついて「春日(はるひ)のカスガ」と呼ばれていたものが漢字と読みが一緒になって春日(かすが)という地名になっている。「飛ぶ鳥のアスカ」と同じ経緯だ。だから春日野の春の日というのは時も時、所も所もというわけだ。この春日野に一人の老人(前シテ)が登場する。ちょっと長いけれど、シテの謡は以下の通り。野守の前シテ(撮影・青木信二)

春日野の 飛火の野守 出(いで)て見れば 今幾程ぞ 若菜摘む
これに出でたる老人は。この春日野に年を経て。山にも通い里に行く。野守の翁にて候なり。有難や慈悲万行の春の色。三笠の山に長閑に。五重唯識の秋の風。春日の里に音づれて。誠に誓いも直(すぐ)なるや。神の宮路に行き帰り。運ぶ歩みも積もる老いの。栄行(さかゆ)く御影。頼むなり。
唐土(もろこし)までも聞こえある。この宮寺(みやてら)の名ぞ高き。
昔仲麿が。昔仲麿が。我が日の本を思い遣り。天の原。ふりさけみると詠めけん。三笠の山蔭の月かも。それは明州(みょうじゅう)の月なれや。ここは奈良の都の。春日(はるひ)長閑き景色かな。春日長閑き景色かな。


飛火野の風景

最初の春日野の~の和歌は、「春日野の飛ぶ火の野守いでてみよ 今幾日(いくか)ありて若菜摘みてむ」という古今集の歌、あとには百人一首にもある阿部仲麿の歌を引いている。
若菜摘みの行事は現在でも七草粥という習慣に残っているが、立春の候に野に出て芹などの水菜を摘むことで、万葉集の最初の歌「こもよみこもち」をはじめとして数々の歌にも読まれ、能では求塚や二人静などにも菜摘女が登場している。菜摘については色々な解釈の仕方があると思うが、立春を過ぎて最初の若葉を積むこと、菜摘女はうら若い乙女であることをあわせて考えると、これから芽吹く最初の若菜の生命力にあやかる意味合いがあるのは間違いない。この和歌は言葉からするとなんとなく奈良朝に詠まれた感じがするけれど、読み人知らずだから正確なことはわからないけれど、もし平安時代に読まれていたとしたら万葉の頃の奈良に思いを馳せているという側面も出てくる。
仲麿の歌は史実はともかく望郷の歌。そうしたアスペクトを合わせていくとシテの最初の謡は春日野(飛火野)の芽吹く生命力と春日大社や興福寺を抱える奈良の都に対する憧れと懐かしさが浮かび上がっては来ないだろうか。
そしてこの老野守は山伏(ワキ)と出会い、問われるままに野守の鏡と呼ばれる水(泉か池かは定かではない)の謂れについて言葉を交わす。一つは水が鏡となって野守の影を写すからそう呼ばれる様になったという説、そして昔鬼神が持っていた鏡の事を野守の鏡と呼んでいたとの説をシテは語る。

いわばここまでが野守というお能の舞台設計で、それを実際に見てみようと先月春分の日頃に飛火野に行って来た。最初のシテの謡を踏まえて朝に行ってみたのだけれど、結果的にはこれが大正解で、確かに萌え出ずる春を実感できた。どうやら前日に雨が降ったのか芝生は多少ぬかるんでいたのだが、朝日が出て気温が上がり、水蒸気が空気中に含まれて霞みがかったなんともいえない景色を見ることができた。

立涌(たてわく)という日本の伝統文様は地表から立ち上る水蒸気を文様化したもの、という説を思い出す。そうこうしているうち、日がさらに登ると芝生にできた水溜や池に綺麗な青空が写っていてなるほど水鏡とはこういったものかと納得した。お能の野守の季節は春分よりもう少し早い頃かと思うが、春を感じられる陽の下、ぼんやり野辺を眺めていると、野守のシテのごとく、修学旅行に来たことなど昔のこと思い出している自分がいた。

 

実際には写真よりも鮮やかに空は映り混んでいました。

 

さて話をお能にもどすと、ワキは続けて「はし鷹の 野守の鏡得てしがな 思い思わずよそながら見ん」という歌の謂れについて問いを重ねる。その謂れについてシテは語るのだが、実はこれは新古今集の歌で恋の歌。大意は自分の好きな人が自分を思ってくれるのかどうか野守の鏡に写して知りたいものだという意味なのだが、その恋の話はさておき、雄略天皇の鷹狩りの逸話をシテは語り、さらに鬼神の持つ「野守の鏡」についてほのめかして鬼神が住んでいたと伝えられる塚に入ると見えて姿を消してしまう。この辺の曖昧な話のつなぎ方が何ともお能らしいのだが、舞台上では恋の話は全く出ない。鏡が超自然的な(呪術的といっても良いかもしれない)力を持つとされているのは遥か昔からのことで、昭君の中でのシテは「それのみならず鏡には恋しき人の映るなる」といっているし、実際、死者となった昭君と韓耶将は鏡を通してこの世の両親と対面を果たしている。このはしたかの和歌を引くことで観るものにその辺の所を想起させるねらいがあるのかもしれないし、たまたまなのかも知れない。

野守後シテ(撮影・青木信二)因みにシテの来ているのが立涌文様の法被。

こう考えると、きっちりとした論理的結合ではないのだが、春の飛火野の生命力、水鏡、鬼神、野守の鏡というのが何となく繋がってもいいのかな、と思える。野守の後半は宗教観、宇宙観を表すやや難しい言葉が出てくる。しかしあまり言葉にはこだわらず舞台をご覧いただいていた方が、楽しいと思う。

友枝 真也