篠原探訪記
実盛を舞うにあたって、その舞台である石川県小松市篠原に行ってきました。行こうと思い立ったのは実盛の兜と伝えられるものが現在も残っているというブログの記事を教えてもらったからです。そこから調べてみると小松市の多太神社に現在も保存してあり、小松市の観光案内によれば事前に予約をすれば見られるということが分かったからです。この手の名物名所は日本の観光地ではよくある事で正直あんまり期待はしておらず、むしろ実盛が討たれた場所と言われている実盛塚や実盛の首を洗ったとされる「首洗池」の方が興味はあったのです。
ところが実際に行ってみるとこれが中々得難い体験をすることができました。多太神社は小松空港から車で10分程のところにあります。「実盛の兜」は神社の宝物館にあるとのことでしたが、ここには人は常駐していないとのことで事前にアポをとって訪問しました。おそらくは地元の保存委員会的な方の説明によると
1 「実盛の兜」は多田(源)満仲が作らせたもので、それが源義朝に引き継がれ、実盛が拝領した。
2 木曽義仲が篠原の戦いの後、当時は八幡宮だった多太神社に戦勝を感謝するためと同時に実盛の菩提を弔うために実盛の遺品である兜などを寄進し、同時に所領も寄進した(ただし、のちの加賀一向一揆によって所領の話は有耶無耶になってしまったらしい)。それを記した書状も残っている。
3 実盛の幽霊が出現したと言われて以降、歴代の遊行上人はその代のうち一度はこの篠原の地を訪れる慣習である。
4 明治になった時に「実盛の兜」は国宝に指定されることになり、それを機に修復された(だいぶ傷みは酷かったようでおそらく芭蕉が見たのはかなりボロボロの状態だったのではないか、とのこと)。
5 戦後は国宝の指定は解かれてしまったが現在も重要文化財に指定され、レプリカも作られた。
ざっくり以上のようなお話を懇ろに伺った。実盛の幽霊を見たとされる第十四代太空上人も、松尾芭蕉も同じような話を当時の人にされたのだろうと思うと、今同じ内容の話を聞いている自分までの時の流れに茫然としてしまいました。
多太神社の境内の様子はコチラ。
その後さらに車で10分ほどの所にある篠原の古戦場にある実盛塚に行ってみました。篠原は日本海の海岸線からごく近い所にあり(安宅の関跡も近くにあります)、実盛塚が現在まで残っているのも人が住みにくい場所だったからでしょう。「篠原」という地名も海に近く海岸線が不安定なために笹などの背の低い竹しか生えなかったせいかもしれません。
実盛塚の様子(動画)はコチラ。
さて実盛塚から直線で1.5km程の所に首洗池というのがあります。手塚山という丘の麓にあるのですが、ここが実盛の首を洗った場所とされています。実際のところそれが本当かどうかはわかりませんが手塚山からは篠原一帯がよく見えたはずですので(現在は植栽の関係でうまく景色は見られませんでした)ここに義仲の陣があっても不思議ではなさそうでした。
首洗池はごくごく小さな池でそのほとりには実盛の首を抱えた義仲、手塚太郎光盛、樋口次郎兼光の三人銅像があります。よくも悪くも日本人らしいです。首洗池の様子はコチラ。
千年近くも前の武将を観光のコンテンツにするのはちょっと無理があるのではと個人的には思いますが(安宅の関跡も)、それと物語を語り継ぐというのは全く別な価値観でもあるのだと、現地に行ったからこそ分かった事ではありました。
友枝 真也