2019年12月14日

末広がりと中啓

現代の我々の生活にとっては扇は縁遠く、夏に涼を得る道具という位置づけでしょうか。しかし、能狂言では扇は最も重要なアイテムの一つです。今回上演される狂言の曲名「末廣(すえひろがり)」、は扇の種類の一つで、別名を中啓ともいいます。閉じていてもイチョウの葉のように「中(なか)ば啓(ひら)く」状態にあることからこの名があります。これに対して所謂普通の扇は鎮(しず)め扇あるいは仕舞扇と呼ばれています。

白骨の中啓。

中啓は能のシテ(シテ連)と脇(ワキ連)のみが使用し(役によっては持たないこともあります)、地謡・囃子方は鎮め扇を持ちます。また仕舞や舞囃子でも鎮め扇を使います。その意味で中啓は最も格式のある扇と言えます。私自身能舞台以外で中啓を目にしたことはありませんが、僧職の方も使うことがあるようです。実際の喜多流の楽屋内では普通は「中啓」という言葉を使います。

開いたところ。
親骨が曲がっているのがわかります。

因みに中啓は両端の親骨は地紙に接着されていますが、間の骨は表と裏の紙の間に刺さっているだけです。ですから万が一骨が折れても骨を交換できる仕組みになっています。

地紙と骨が離れています。

因みに能楽の扇を専門に扱っている京都の十松屋福井さんではお店のロゴに狂言の「末廣」のワンシーンを使っていらっしゃいます。前にいるのがシテの果報者、後ろから傘をさしているのが太郎冠者です。

十松屋さんのビニール袋

十松屋さんのご主人によれば扇はもともと日本から中国に伝わったものが室町時代に末廣(中啓)の形になって逆輸入されたとのこと。したがって末廣の狂言の頃はいわばインテリの果報者と都にいて流行を知っていたすっぱは知っていても、一般庶民の太郎冠者が知らなくても無理はなかったのではないか、とのことでした。そうした事を知ってみると末廣についての太郎冠者と果報者、そしてすっぱとのやりとりが一層面白く思えてきます。

お能では「高砂」がおめでたい曲の代表格ですが、お狂言では「末廣」がそれに当たり、それもあっての今回お正月という時期に合わせての野村萬斎さんの選曲と思われます。ストーリーだけではなく、そのお正月ならではの雰囲気をぜひご堪能ください。

友枝 真也